子どもの貧困対策
震災当時小1だった女の子
PTSDの影響で5年たった2015年秋、学校に通えないままでいました。
学校に行けないまま仮設住宅で5年が過ぎました。同じ年頃の子どもの中で成長する大切な時期を丸ごと5年間失っていることを知り、本当に居たたまれない気持ちになりました。本来ならその時、小学校6年生のはずでした。母子家庭の子どもです。私が知り合った当時、まだ小学生のその子がお母さんから離れられない為に、シングルマザーのお母さんは働きに出られずに、生活に困窮してました。
本来高校を卒業して二十歳を超えた女の子
震災後学校に行けなくなりリストカットと自殺未遂を繰り返していました。やはり母子家庭です。お母さんは仕事に行くときに、家の中の刃物を隠して出かけます。それでも、コンビニでカッターを買って手首を切ったことがありました。「寝占さん、どこにいるの?〇〇さんのお嬢さん手首切って救急車で運ばれたから、様子見に行ってやって!!お母さんきっと参っているから。」そんな電話が近所のお母さんからありました。
今年高校生3年の男の子
震災以降母親への暴力が始まり、不登校に。
中学三年で被災した男の子
無事高校に入学し夏休み明けの二学期、中学校の制服を着て学校に行こうとしました。彼の中では自分が中学一年生の自覚しかありません。中学一年の二学期から高校一年の夏休みまでの記憶が消えていたそうです。津波の記憶も消えていました。学校に行くと周りは知らないクラスメートばかり。パニックになりました。そして学校に行けなくなりました。この男の子はその後記憶を取り戻し、無事専門学校に進学しましたが、男の子が学校に行けるようになった頃、今度は妹が学校に行けなくなりました。お兄ちゃんの状況を見ていた妹はその間お母さんに甘えられることもなく、不安定な気持ちを抱えたまま、1人で頑張っていたんです。その後私たちの支援で、その女の子も外に出られるようになりました。
高校一年生の女の子
自営のお父さんの職場が負債を残したまま流され、事業立て直しの為に更に負債を抱え、家にいる時間も減りました。収入も減り、家に帰っても苛立ち、いつも難しい顔をしています。そんなお父さんの態度にお母さんが情緒不安定になりました。そしてそれが伝染するように、高校一年の女の子が不登校になりました。マザーリンクの支援で、その後学校に行けるようになりました。
高校一年で被災した男の子
今はもう二十歳を過ぎています。今もまだ家から出られずに引きこもりのままです。
なぜ、そのような状況に?
津波の後はまるで地獄絵。
頭がない、足が捥げている、胴体だけ。そんなご遺体が沢山散乱してました。ゴルフ場のネットにはご遺体が沢山引っかかってそうです。
そして、多くの子どもたちが学校に行けなくなりました。
その後の支援は以下の通りです。
※詳細は各々のページをご覧ください。
■親への支援
■支援者養成
しかし、どうしても救えない子ども達がいました
義務教育終了年齢以上の子ども達が放置されたままだったのです。
高校生で不登校が続き出席日数が足りなくなると、退学せざるを得なくなり、多くの子どもたちがその後通信高校に編入します。しかし、宮城県の南三陸町より上の被災地域にはフリースクールもなく、サポート校もなく、居場所も学習支援も受けられずに放置されていました。その子たちを救うためには、どうしても『サポート校』が必要でした。それが、その後の『僕らの学校を創ろう!プロジェクト』に繋がっていきます。